アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

ジャパレス バイト GETだぜ❗

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

 

新しい部屋へ移った私は、ワーキングホリデー生活をエンジョイしていました。

クセの強いシェアハウス仲間は、私に対してとてもフレンドリーに接してくれました。

しかし困ったこともありました。

タクシードライバーのネイサンが度々、部屋のドアを開けっぱなしで長時間電話をしていたのです。

ケベック州の友人に電話でもしているのか?呪文のようなフランス語を1時間以上ぶっ続けで発してました。

私はフランス語なんてボンジュール、ジュテームぐらいしか分からないから、最初はさほど気にならなかったのですが、呪文のようなフランス語がボディーブローのようにジワジワ効いてきて、私は段々とイラッとしてきました。しかし文句を言える訳でもなく、黙ってやり過ごすしかなかった。

 

レゲエ親父のエソはと言うと、とにかく声がデカイ!まあレゲエミュージシャンが小声だったら商売になりませんけどね。

あと1つ難がありまして、家に帰ってきて、階段を上がってくる辺りから強烈な匂いを発しているのです。

その匂いはと言うと・・・、御想像におまかせします。

彼も気が付いているのでしょう。

すぐにシャワーを浴び、その後、部屋中にスプレーを噴射しまくっていました。

そのスプレー缶には勇猛果敢なインディアンの顔がありまして、私はそのスプレー缶を神聖なる神のスプレーと呼んでいました。

まあ、シェアハウスというのは他人同士が壁一枚隔てて住んでいるのだから、色々とあります。

 

住居の心配がなくなった。私は次にバイトの心配をした。

とりあえず数ヵ月はバイトせずにしのぐことも可能だったが、生活費はバイトで稼ぎたかった。

何故かと言うと、ワーキングホリデー終了後に、長距離バスのグレイハウンドでアメリカ大陸を回り倒すという壮大な計画が控えていたからです。

そういう理由でなるべくお金は使いたくなかったし、早くバイトを見つけたかった。

早速、私は日加タイムス (週刊の日本語新聞)の職業募集欄を見ました。

ほとんどの募集がジャパニーズレストランだった。

カナディアンの下で面白そうなバイトをしたいな〜と思いましたが、そんな事は言ってられんなと思い、あるジャパニーズレストランに電話をした。

日本の心(仮名)というジャパニーズレストランで、とりあえず面接に来てちょうだいということで、翌日に行くことになった。

 

店は目抜通りに面していて、素晴らしい立地にあった。賃料も相当高いに違いないと思った。

店は20人も入らない様な小さな店だった。あえて言うなら喫茶店に毛が生えた程度だろうか。

50歳代の女主人が切り盛りしていて、後は全てバイトで回っていた。 

見た感じ、素人のおばちゃんが店を経営してると直ぐにわかった。

面接が始まった。小うるさそうで小さな女主人はビシバシ質問してきた。

「あなた、英語はどうなの?大丈夫?

キッチンはいっぱいだから、やるとしたらホールね!」

私も英会話に馴れてきたので多少の自信はあった。カナディアンの小学一年生レベルはあったのではないか?

バイトの面接に受かりたかったので、

少し盛った。

「シェアハウスの仲間とも普通に話してますから問題ないです」

「ワーキングホリデーの子達は責任感がないのかしら〜?すぐに辞めてしまうのよ〜あなた大丈夫?」

「私も生活がかかってますから。頑張りますので、よろしくお願いします」

女主人は少し考え、私に言った。

「あなた真面目にやってくれそうだから合格よ!頑張ってね!」

なんとか職を得ることができ私は安堵した。

このジャパニーズレストラン「日本の心」で起こる数々の面白いエピソードを今後、紹介していきたいと思います。ご期待ください。

                                     つづく