アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

キレてるよな?キレてないよ!いや!いや!完全にキレてますから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」(仮名)のバイト仲間であるサトルの家に遊びに行くことになった。
まともなマンションに住んでいた。私の住んでいるボロの一軒家とは大違いだ。
カナディアンの男とシェアしているにしても、結構な家賃を払ってるだろうと思った。

サトルに促され部屋に入った。広いダイニングルームと2つのベッドルームがあった。

「良いところ住んでいるな」

「大したことねえよ!」

「家賃高いだろ?」

「まぁ〜な」

サトルは明らかに見栄を張っていた。ジャパレスのバイトだけでは、住めそうもない所だった
聞くところによると、都内の開業医の息子らしい、いわゆるボンボンってやつだ。
親からの仕送りと、バイト代を合わせて、何とかやっている感じだった。

「ところで、サトル。日本にいる時は何やってたんだ?」

「高校時代、ラグビーやっててよ!大学でもやろうかな〜なんて思ってたのよ!」

(どうりでバカデカイわけだ!)

「親父が医者だからよ!医大行けって言われたわけよ!俺の頭で受かるわけないからな、浪人だよ!数年間、浪人したけど結局は受からなかった」

奴なりに苦しく、大変だったと思う。

「やりたいことなんてねえからよ〜。ワーキングホリデーでトロントに来たわけさ」

「マサ坊!お前どうなんだよ!やりたいことかあるのか?」

「まぁ〜な。音響の専門学校卒業して、就職せずにトロントだよ。なれるかわからんが、DUBミキサーになりたいな〜なんて思っている」

「音響か!歌なら俺もスゲ〜好きだからな!ザ・ロネッツ知ってるか?最高だよ!彼女らは!」

サトルはなかなかの音楽好きだった。
特にオールディーズをこよなく愛していた。それだけでは収まらず、中国人キッチン軍団からの影響で、香港歌手が歌う哀愁歌に手をだす始末だった。

キッチンに行くと、ラジカセから香港哀愁歌がこれでもかと流れていて、キッチン中国人軍団とサトルが聞き惚れているのをよく目にしていた。

サトルが頼んでもいないのに、ザ・ロネッツの「be my baby」という曲を流した。
悦に入ったサトルは身長185㎝、体重100㎏の巨漢を揺らして踊っていた。
(YouTubeで検索して、巨漢が悦に入って踊っている姿を想像してください)

「マサ坊!今度よ!。どこかに旅行に行かねえか?これ見てくれよ」
小サイズのガイドブックを私に見せてきた。
地球の歩き方のがわかりやすいし、詳しく載ってるな」

何気なく言った私の一言がサトルの逆鱗に触れた。サトルの顔が見る見る赤くなっていった。

「おめぇ〜よ!俺の彼女がわざわざ送ってくれた物にケチつけるのか〜!ふざけるなよ!」

凄い迫力だった。巨漢の男が今にも暴れだしそうだった。
ここで弱気になったら、一気にヤられると思い、言い返した。

「おめぇ〜の彼女にケチつけてる訳じゃねえよ!ただ、地球の歩き方の方が詳しいな〜ってことだよ!冷静にいこうぜ!」

サトルの暴走トラックっぷりを寸前で止めてみせた。怯んでいたら、何発かヤられていたかもしれない。

サトルが冷静になった。後でわかったことだが、寂しがり屋のサトルは彼女に心底惚れており、国際電話長時間話す男だったのだ。そんな男が彼女からの本をディスられたら、こうなるなと、納得できた。

「そう言えば、禿のおっさん起きてこねえな〜」

同居人のカナディアンの男性は夜の仕事でまだ寝ているらしい。

「名前はクレイグって言うんだけど、音楽関係の仕事をやってるみたいだ。紹介するよ」

「クレイグ!クレイグ!起きろ!起きろよ!」

寝ているクレイグさんを無理やりたたき起こした。

「俺のダチのムーネだ。こいつ音楽関係の仕事をしたいらしい、紹介してやれよ!」

クレイグさんがけげんそうな顔をした。

「それだったら今夜来るかい?bossに電話で聞いてみるよ」

何か面白いことになってきた。トロントでレゲエ親父のエソに続き、また音楽関係の人に知り合うことができた。急な話で、何をするかは分からないが、行くことにした。

「bossが是非来てくって」

私とクレイグさんは夜のトロントの街を自転車で駆け抜けた。まだ会ったばかりのクレイグさんは容赦ないスピードで自転車を漕いだ。
「このおっさん容赦ねえな〜!こっちは土地勘もないし、夜だから恐いんだよ!」

クレイグさんは夜の倉庫街へ入って行った。
「はぐれたらシャレにならんな!」
私は禿の放つ光を頼りに後に付いて行った。

ある倉庫の前で、自転車が止まった。私達は倉庫の中に入って行った。
中ではミュージックビデオの撮影が行われていた。

「スゲ〜、いったいこれから何をやらせて貰えるんだろう 」

結局のところ、仕事は大道具を運び、ホコリがたまった床を掃くという仕事だった。
そして日当70ドルを貰い、朝日がまぶしいトロントの朝の中、帰って行った。
まあ、人生そんな甘くないですな。
つづく