アメリカ合衆国をバスで回りたおすぞ!パート4 ドイツ人達との別れ。そしてキーウェストへ
ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。
ドイツ人達との別れの朝がきた。
3人はマイアミを離れ、各々で次の目的地に向かうと言っていた。
私はユースホステルに移り、もう1日だけマイアミに滞在することにした。
私はバルドに声を掛けた。
「2日間の短い間だったけど、楽しかったよ。君に会えてよかった」
「俺もだ!」
「また何処かで会えればいいな」
別れというもには感傷的になるものだ。
「ムーネ、君の日本の住所を教えてくれよ。手紙でも書くから!」
私はバルドに実家の住所を教えた。たった2日間行動を共にしただけで、ここまでの関係が築けるとは思っても見なかった。
とにかくバルドは良い奴だった。賢いし、優しい、行動力もある。嫌みな所が1つもなかった。誉めすぎだと思うかもしれないが、本当にそういう奴だった。
友達とは呼べないが、良い関係を持つことができたと思っている。
ワーキングホリデーが終了し、日本に帰って数ヵ月後、バルドからエアメールが届いた記憶がある。
大学卒業後、ニューヨークで弁護士か何かは忘れたが、見習いをしていて大変だ。
ニューヨークで日本の友達ができた。
など色々と書いてあった。
正直、手紙など来るとは思わなかった。
私にとっては、ドイツ人達との出会いは、得難い出会いだった。バルドも私(日本人)との出会いをそう思ってくれたに違いない。だから手紙を書いてくれたんだと思う。
「ムーネ、良い旅になることを願っているよ。また何処かで会おう!」
バルドは大きなバックパックを背負い、颯爽と去っていった。
ドイツ人達と別れた後、マイアミのダウンタウンに1人で行ってみた。マイアミビーチみたいな活気はなかった。昼間だったからかもしれないが、寂れていたような気がする。ホームレスがあちこちにいた記憶がある。
マイアミと言ったら、アールデコ調のお洒落な建物が建ち並ぶ都市と思っていたが現実は違った。それは一部の地域であって、その他の地域は普通の都市と変わらなかった。逆に全米危険度ランキングの常連都市なだけあって危険な香りを漂わせていた。
次の日、私はマイマミを離れ、キーウェストへ向かった。アーネスト・ヘミングウェイが愛した、アメリカ合衆国本土最南端の都市である。
マイアミからバスで4時間位で行けると言うので移動は楽だと思った。
オーバーシーズ・ハイウェイというアメリカ合衆国のハイウェイで最も美しいハイウェイといわれているハイウェイを南下し、キーウェストに向かった。
今までの旅の道中、バスの中では、ほとんど寝ていたが、海と青い空が広がる絶景だけは見逃すまいと寝ずにいた。
島と島をつなぐ長い橋、広がる青い海は絶景だった。このハイウェイを通っただけでもキーウェストに行く価値があると思った。
キーウェストには3日ほど滞在した。
静かなリゾートだった。そんなに開発された観光地ではなかったと記憶している。
シュノーケリングをしたり、海に行ったりして楽しんだ。
もちろん宿はユースホステルだ。
夕方にはアメリカ合衆国本土の最南端ポイントへ行き、夕日を見た。
いつも見る夕日じゃない気がした。
ここから90マイル離れた所にキューバがあるらしい。いつかはカリブ海の島々を巡りたいなと強く感じた。
つづく