アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

アメリカ合衆国をバスで回りたおすぞ!パート4 ドイツ人達との別れ。そしてキーウェストへ

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

ドイツ人達との別れの朝がきた。
3人はマイアミを離れ、各々で次の目的地に向かうと言っていた。
私はユースホステルに移り、もう1日だけマイアミに滞在することにした。

私はバルドに声を掛けた。

「2日間の短い間だったけど、楽しかったよ。君に会えてよかった」

「俺もだ!」

「また何処かで会えればいいな」

別れというもには感傷的になるものだ。

「ムーネ、君の日本の住所を教えてくれよ。手紙でも書くから!」

私はバルドに実家の住所を教えた。たった2日間行動を共にしただけで、ここまでの関係が築けるとは思っても見なかった。

とにかくバルドは良い奴だった。賢いし、優しい、行動力もある。嫌みな所が1つもなかった。誉めすぎだと思うかもしれないが、本当にそういう奴だった。

友達とは呼べないが、良い関係を持つことができたと思っている。
ワーキングホリデーが終了し、日本に帰って数ヵ月後、バルドからエアメールが届いた記憶がある。

大学卒業後、ニューヨークで弁護士か何かは忘れたが、見習いをしていて大変だ。
ニューヨークで日本の友達ができた。
など色々と書いてあった。

正直、手紙など来るとは思わなかった。
私にとっては、ドイツ人達との出会いは、得難い出会いだった。バルドも私(日本人)との出会いをそう思ってくれたに違いない。だから手紙を書いてくれたんだと思う。

「ムーネ、良い旅になることを願っているよ。また何処かで会おう!」

バルドは大きなバックパックを背負い、颯爽と去っていった。

ドイツ人達と別れた後、マイアミのダウンタウンに1人で行ってみた。マイアミビーチみたいな活気はなかった。昼間だったからかもしれないが、寂れていたような気がする。ホームレスがあちこちにいた記憶がある。
マイアミと言ったら、アールデコ調のお洒落な建物が建ち並ぶ都市と思っていたが現実は違った。それは一部の地域であって、その他の地域は普通の都市と変わらなかった。逆に全米危険度ランキングの常連都市なだけあって危険な香りを漂わせていた。

次の日、私はマイマミを離れ、キーウェストへ向かった。アーネスト・ヘミングウェイが愛した、アメリカ合衆国本土最南端の都市である。
マイアミからバスで4時間位で行けると言うので移動は楽だと思った。

オーバーシーズ・ハイウェイというアメリカ合衆国のハイウェイで最も美しいハイウェイといわれているハイウェイを南下し、キーウェストに向かった。

今までの旅の道中、バスの中では、ほとんど寝ていたが、海と青い空が広がる絶景だけは見逃すまいと寝ずにいた。
島と島をつなぐ長い橋、広がる青い海は絶景だった。このハイウェイを通っただけでもキーウェストに行く価値があると思った。

キーウェストには3日ほど滞在した。
静かなリゾートだった。そんなに開発された観光地ではなかったと記憶している。
シュノーケリングをしたり、海に行ったりして楽しんだ。
もちろん宿はユースホステルだ。
夕方にはアメリカ合衆国本土の最南端ポイントへ行き、夕日を見た。
いつも見る夕日じゃない気がした。
ここから90マイル離れた所にキューバがあるらしい。いつかはカリブ海の島々を巡りたいなと強く感じた。
つづく

アメリカ合衆国をバスで回りたおすぞ!パート3 インディアンとの宴

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

とりあえず糞ボロいが安いホテルをGETできたドイツ人3人+日本人独り(私)はホテル周辺を散策することにした。

リーダー的存在のバルドが現地の人間に声を掛けた。

「何処かお勧めの場所はないですか?」

現地人が気さくに答えてくれた。

「お前ら何処から来たんだ?」

「3人はドイツで1人は日本です」

「そうか、俺達はこの地に古くから住んでいるインディアンだ」

男は自分達をネイティブ・アメリカンのインディアンだと言った。
インディアンと言えばアリゾナ州などに住んでいると思った。フロリダ州にいるなんて正直わからなかった。

男は40歳前後の威厳がありそうな男だった。少しだが怖さを感じた。
その男の傍らに若者がいた。その若者もインディアンだった。メタリカのTシャツを着ている今時の青年だった。
なんでメタリカのTシャツなんだ?
ふつうアンスラックスだろ!とツッコミたかった。

「お前達、1人30ドルだせば俺達がガイドを買って出るぜ!それも秘伝のインディアン料理付きだ!どうする?」

バルドは大乗り気だった。目を輝かせていた。他の2人もバルド程じゃないが、乗り気だった。
30ドルで車までだしてくれて、飯付きとなれば、好意でやってくれるのかと思ったが、私は大して乗り気じゃなかった。

その後、インディアン達の運転する車で各地を回った。大した場所には行かなかったと思う。湿地帯に行ってワニを眺めたくらいしか記憶に残ってない。

夕方になり、焚き火を囲みながら、インディアン料理なる物を食べた。
チキンを焼いた料理だったと思う。物珍しい料理ではなかった。

食事が終わり、火を囲みながらの会話が始まった。ドイツ人達は、よほどインディアンに興味があるのだろう。色々と質問をしていた。
私はみんなの話を黙って聞いていた。

インディアンが私に向かって言い放った。

「お前は何で黙っているんだ?お前達!日本人はいつもそうだ!そういう風に黙って自分の意見を言わない!何でだ?」

いきなりビックリした。ドイツ人達が色々と質問してくるのに、黙っている日本人の私にキレるとは思わなかった。

とにかく私が何も喋らず、黙って意見や質問をせずにいることが許せないらしい。
何か意見を言えと強要してきた。
別に質問や意見などなかった。
それより私が喋らなかっただけで、日本人がシャイな奴達と思われたのがシャクに障った。
このままではインディアンの怒りが収まらない。何を喋ったか忘れたが懸命に喋った。

「やればできるじゃないか!ジャパニーズボーイ!」

とりあえず私はインディアンから許しを得ることができた。何だか納得がいかなかった。

私的には余り面白くなかったインディアンとの宴も終わり、私達はホテルへと帰った。

翌朝、私はドイツ人達とマイアミビーチ沿いにある店で朝食を取った。
朝食後に皆で海へ行こうとバルドが誘ってきた。
二人のドイツ人がバルドに反論していた。

「この日本人も連れて行くのか?俺達だけで行こう!」

ドイツ語だったので定かではないが、二人の顔の表情と態度で、そのように感じとった。バルドが二人を叱咤した。

「ムーネ行くだろ?」

「行くに決まってるだろ!」

その後、私達は海へ行って楽しんだ。

つづく

アメリカ合衆国をバスで回りたおすぞ!パート2 そこの君!一緒に泊まらへん?

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

ニューヨークには3日滞在した。次の地にフロリダ州マイアミを選んだ。
グレイハウンド・バスで30時間以上の旅になる。間違いなく過酷なバスの旅になることは分かっていた。
途中下車し、ワシントンDCやアトランタに寄ることも考えたが一気に南下することを選んだ。

とにかく糞寒いニューヨークからマイアミの温暖な気候に行きたかった。
マイアミは11月、12月でも泳げる最高な場所なのである。
ビーチでカクテルでも飲みながらブロンドヘアーの美女でも眺めて、最高のバカンスを送りたかった。

バスが出発した。バスの中では殆んど寝ていたので、これと言って楽しい事はなかった。感想を言うならば、30時間以上バスになんて乗るもんじゃないと言うことだ。

首、肩、背中、腰、足、全てがダル重くなった。
トイレ、食事休憩で何回か停車し、多少は回復したが、気休めに過ぎなかった。

どうにかこうにか地獄のバス移動が終わった。マイアミに着いたのはお昼前後だったと記憶している。
バスターミナルはごった返していた。
外は程よく暖かかったので、着ている上着を脱ぎ、Tシャツ1枚になった。

日本にいた頃から来たいと思っていたマイアミだ。興奮せずにはいられなかった。

先ずはユースホステルに寝床を確保しに行くことにした。雑踏を歩いていると、一人の白人の若者に目が留まった。

「誰かホテルをシェアしないか?」

白人の若者は道行くバックパッカーにホテルをシェアしようと声を掛けていた。

「そこの君!ホテルは決まったのか?シェアしないか?」

白人の若者が私に声を掛けてきた。

「yes!」

私はシェアしようと返事をしていた。
なんでyesと言ったのか、自分でもよく分からなかった。

見ず知らずの人間と寝床を共にするなんて日本にいる頃の私なら考えられない事だ。
皆さんもそうだと思う。

白人の若者は信用できそうな面構えをしていたので、とりあえず安心感はあった。
何か面白くなりそうな予感がした。

白人の若者は私の他に2人に声を掛け、合計4人でホテルに泊まる事になった。

白人の若者はバルドといった。ドイツ人の若者で歳は私と同じぐらいだった。
大学卒業の記念でアメリカを旅しているらしい。とても賢そうな奴だった。

あとの2人もドイツ人でアヒムとベンといった。この二人は仲間同士みたいで、余り感じは良くなかった。

ドイツ人3人の中に、日本人独り。不安といえば不安だった。例えば、この中に陽気なイタリアンでもいればまた違ったのだろう。

バルドが気を使ってくれてるのか?日本人の私に興味があるのか?色々と話し掛けてくれたので孤独感はなかった。

私達はできるだけ安いホテルを探した。一人10ドル前後だして、泊まれるようなホテルだ。

どうにかこうにか糞ボロいが安いホテルを探すことができた。
しかし致命的なことにベットが2つしかなかったのだ。
二人で一緒にベットで寝ようなんて気持ち悪いことはできない!

とりあえず臭い足を嗅ぎながら反対になって寝ようということに決まった。

次は短かったが面白かったドイツ人達との交遊を書きたいと思います。

つづく

アメリカ合衆国をバスで回りたおすぞ!パート1 これって奇跡の再会だよね?

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

トロントでのワーキングホリデー生活ネタもほぼ尽きたので、最後の総決算としてグレイハウンド・バスで巡るアメリカ合衆国の旅について書きたいと思います。

真冬になり、トロントでのワーキングホリデー生活も終盤に入った。

とうとう日本にいる時から計画を立てていたグレイハウンド・バスで巡るアメリカ合衆国の旅を決行するときがきた!

1ヶ月間乗り降り自由のフリーパスは持っている。十分な資金もある。準備万端整った。

自由気ままな旅がしたかったので、この都市に何日間滞在するなどの決め事はしなかった。

出発日、トロントのバスターミナルでニューヨーク行きのバスを待っていた。
先ずはニューヨークに行くことにした。

前回、ヒデオとニューヨークへ行った時はボトルマン事件が勃発し、不満足な部分もあったのでリベンジするつもりでいた。
絶対にオモロイ事をしてやろうと思った。

ニューヨークまでの長い道のり。多少のダルさはあったが、そんなに苦にはならなかった。2回目だったので、身体が慣れたのかもしれない。

ニューヨークへ着くと、すぐにユースホステルへ向かった。
チェックインを済ませ、美術館巡り、公園に行ったりして楽しんだ。

ニューヨーク2日目、夜にライブを観に行くことにした。
ニューヨークに来たからには、普段聴けないないようなライブを聴きたかった。
ニューヨークといえばジャズだろう!と言うことでジャズクラブへ行くことにした。

ロン・カーターと言う名ベーシストのライブに行くことにした。

ロン・カーターとは、私の大好きなマイルス・デイビスのバンドでベースを弾いていた凄い方なのだ!

普段、レゲエだのロックだの言っている奴がジャズとは上品ではないか!と思うかもしれないが、ある人の影響で聴くようになった。

音響の専門学校に通っている時の非常勤の先生だった人の影響だった。

この先生からは他にも影響を受けた。
感性を磨くなら海外に行きなさいと、よく言っていた。
少なからず、この言葉があったからこそ、トロント行きを決断したところはあった。

ライブが始まるのは夜だった。間違いなく帰りは遅くなるだろう。帰りに道に迷い、ボトルマンに遭遇したり、暴漢に襲われるのは御免だ!

昼間の内にジャズクラブの周辺を歩いて回り、帰り道を徹底的に頭に叩き込んだ。

夜のタクシーに一人で乗ることは避けたかった。高額なタクシー代を請求されたり、変な所に連れていかれたらたまったものじゃない!

公共交通機関が無難だと思った。かといってニューヨークの夜の地下鉄は危険度MAXだと思った。映画の観すぎだろうか?
結局、路線バスに乗って帰ることにした。
運転手もいるし、一番安全だと思った。

夜になり、私はジャズクラブのテーブルに一人で座っていた。ドリンクを頼み、ライブが始まるのを待っていると、一人の日本人の初老男性が私の対面に座った。

その日本人の初老の男性はテーブルを指で叩いてリズムを刻み、曲を頭の中で奏でいるのか?自分の世界に入っていた。

オイオイ!オジサン。トントン止めてくんねえかな〜。まだライブは始まってねえけど!早いんじゃねえか?と思った。

どんな顔してカッコつけているんだと初老の男性の顔をよく見ると、見たときある顔だった。

ビックリした!音響専門学校の非常勤の先生だった、○田先生ではないか!

貴方の影響でジャズを聴くようになり、貴方の影響で海外に行くことを決意した!
○田先生ではないか!私は○田先生に声をかけた。

「あの〜失礼ですが、○田先生ですが?」

「如何にも、私は○田ですけど」

「私、音響の専門学校で先生の生徒だったんですが、覚えてないですよね〜」

「何か見たときある顔だな〜。思いだしましたよ!思いだした!」

ウソつけ!全然覚えてなんてないよな!とツッコミをいれたかった。

「私、先生の言葉、感性を磨くなら海外へ行けって言葉に強く感銘を受けまして、トロントに住み、1ヶ月かけてアメリカを放浪しているです」

「それは嬉しいな〜。そういう面白い事をたくさんやりなさいよ」

奇跡的な再会だった。こんな所でこんな事があるとは思わなかった。

興奮冷めやらぬまま、ロン・カーターのライブが始まった。ライブは素晴らしいものだった。

ライブの束の間の休憩中、○田先生は席を立った。

「私はオジャマしますよ。元気で!」

「ロン、あんたの音を少し、聴きたかっただけなんだ」と言わんばかりに途中で帰っていった。粋なオヤジだな〜と思った。

ライブが終わり、私は細心の注意を払いながらユースホステルへ帰った。
つづく

予行練習でニューヨークへ行きます! パート2 なにゆえボトルマンと戦うのか?

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

ニューヨークへ着いた。私とヒデオは朝食を食べた後、安宿探しに奔走した。
流石にニューヨークだ。ガイドブックに載るようなホテルは私達には高すぎた。
とりあえずユースホステルへ行ってみることにした。

25年以上前のニューヨークのユースホステルは20ドル前後で泊まれたと記憶している。もしかしたら、もっと安かったかもしれない。貧乏旅行者にとっては有難い料金設定だった。

何とかユースホステルに宿泊できることになった。わからない方もいるかもしれないので説明しておこう。

ユースホステルの多くが1つの部屋に二段ベットが何個かある相部屋だった。
だからこんなに安いのだ。

そういう所なのでデメリットもあった。

貴重品の類いは肌身離さず持っていないと盗まれてもおかしくない。

足の臭い奴が同部屋にいると本当に最悪。

大男のイビキがうるさくて寝れない。

劣悪とまでいかなくて快適とは言えない部屋だった。

少し落ち着いてから、私とヒデオは観光に出かけた。ひと通りの有名観光地を巡り楽しんだ。

日も暮れて、私達は夕食を食べることにした。

「ヒデオ、これからどうする?」

「お楽しみはこれからやん!何処かオモロイ所ないか?」

「それじゃ〜クラブでも行くか?」

「ディスコか!いいね〜」

「お前、デスコって!古る〜」

私達はクラブに繰り出すことにした。無難にガイドブックに載っている有名所にしておいた。ディープなクラブに行ってみたいと思ったが、変なクラブに入って身ぐるみ剥がされるのも嫌なので冒険するのは止めといた。

クラブへ行くと、熱気で満ち溢れていた。
ヒデオはクラブに行くのは初めてらしかった。その割りには恥ずかしがらず、踊っていた。
不格好な踊り方だったが、楽しんでいた。それでいいと思った。カッコつけて踊らずにいるより、男だと思った。

私もニューヨークのクラブをおもいっきり満喫した。

とりあえず夜を楽しんだ後、タクシーで帰り、ユースホステルでおとなしく寝た。

ニューヨーク二日目、ひと通り観光して、私とヒデオがストリートを歩いていると事件は起こった。

前から歩いて来た中肉中背の黒人の男がヒデオにぶつかってきた。

「ガシャン!」

黒人の男が持っていた紙袋が地面に落ち、何かが割れる音がした。

「何やってくれてるんだ!これは上質なウイスキーなんだぜ!弁償してくれよな!」

ヒデオが噛みついた。

「オッサンがぶつかってきたんやろ!」

「ぶつかったのはお前だ!50ドルに負けといてやるから支払ってくれよ!」

「何言うてんねん!」

「お前!払わないと知らんぞ!俺のブラザーが向こうの路地で待っている。呼んでくるか?」

黒人の男が裏路地を指差した。薄暗い路地で、ジャックナイフやメリケンサックを持った筋骨隆々としたブラザー達が待機していても、おかしくない雰囲気を醸し出していた。

私はヒデオを一喝した。

「お前!マジでヤバイぞ!奴に50ドルくれてやれよ!」

「大丈夫や!俺のことナメてるだけや!」

私は日頃からチャイニーズ・カナディアンの友達、ヤーウェイから口酸っぱく言われていた。

「ムーネ、もし物取りや暴漢などに因縁つけられても、決して抵抗するな!金出せ!と言われたらダミーの財布を渡せ!決して戦うなよ!」

私も、もっともだと思った。こんなことで命を落としたり、怪我したくなかった。
私は反対側の歩道に退散し、しばらく事を見守っていた。

まだ黒人の男とヒデオは言い争っていた。
何とかせねば!と思った。

そんな時、救世主が現れた。向こうの方からポリスが歩いてきた。私は大声で叫んだ。

「ポリ〜ス!」

ポリスと言う声に反応した黒人の男は、マズイと思ったのか、そそくさと裏路地へ消えていった。

「ヒデオ!お前!マジにヤバかったぞ!」

「大したことないやん!」

「バカヤロ〜!刺されたりしたらどうするんだ!俺まで巻き添え食うの御免だぜ!」

「その時はその時やん!」

「お前!ふざけるなよ!」

呆れるしかなかった。

後でわかったことだが、黒人の男性はボトルマンと言う観光客を狙う詐欺師だった。
安いウイスキーやワインのボトルが入った紙袋を落としては金銭を要求すという汚いやり方だった。

皆さんにお聞きしたい。もし自分がボトルマンに遭遇し、金銭を要求されたらどうするだろうか?それも怪しげな裏路地を指差され、俺のブラザーが向こうで待ち構えてるぜと言われたら!はたして正気でいられるだろうか?それもニューヨークという完全アウェイでた!

私だったら支払っていたかもしれない。
大した金額ではないし、面倒臭いことに巻き込まれたくないからだ。詐欺師というのはそう言う痛いところ突いてくるのだと思う。

こんなことがあったのにヒデオが私の神経を逆撫でするような事を言ってきた。

「俺さ〜。ロックフェラー・センタースケートリンクで滑りたいや!付き合ってくれるか?」

「なんで野郎同士でスケートしなきゃならんのじゃ!勝手に滑ってろ!」

ヒデオはスケートリンクで楽しそうに滑っていた。私はただそれを見ていた。呑気な野郎だと思った。

ニューヨークを去る日、バスターミナルで何故かわからないがヒデオが同じバスに乗るフランス人女性と仲良くなっていた。
私は居ないものとなっていた。バスの中でも隣の席に座りイチャついていた。
「やってられんわ!」
ふて寝するしかない私であった。
つづく

アメリカ大陸周遊の旅まであと少し。予行練習でニューヨークへ行きます! パート1

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

前にも書きましたが、トロントでのワーキングホリデー終了後、グレイハウンド・バスを使ってアメリカ合衆国を周遊する計画を立てていた。
手元には日本の親から送って貰った1ヶ月間乗り放題のフリーパスがすでにあった。
今はフリーパスは廃止されないとのこと。
貧乏旅行者にとって本当に便利なパスだったと思うので、復活を願いたい。

どの都市を回ろうか?何をやろうか?何日間滞在しようか?など考えるのが本当に楽しかった。

いきなり一人でアメリカ合衆国をバスで回るのも少なからず不安があったので、予行練習としてグレイハウンド・バスでニューヨークに行くことにした。

パートナー探しに奔走した。色々な奴に声をかけたが、良い返事はもらえなかった。一人で行こうかうかと、なかば諦めていたところに一人の男が手を挙げた。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」で同僚として働くヒデオだった。サトルの後釜としてキッチンに配属されたが、ドンクサイ男だったので、中国人キッチン軍団からよくドヤされていた。

そんな男が私の誘いに乗ってきた。これと言って仲が良いというわけではなかった。
居ないよりは居た方が良い旅ができると思った。

「グレイハウンド・バスでの旅。出発は1週間後。大丈夫か?」

「行くよ〜!行くに決まってるやん!」

ヒデオと行くことが決まった。自分で声をかけたくせに、何を言っているんだ!と怒られるかもしれないが、何か嫌な予感がした。

とにかくマイペースな男で、変なオーラを持っていた。自称だが関西のボンボンでアパレル社長の御子息らしい。しかし格好はダサかった。

そんな男と行くんだからスムーズな旅にはならないと思った。
一緒に行くからには楽しい旅になるように願うしかなかった。

出発の日、私とヒデオはトロントのバスターミナルで待ち合わせをした。
出発は確か夕方頃だったと記憶している。
私とヒデオはニューヨークまでの長旅に備え、食料を買い込んだ。何せ10~12時間の長旅だ!途中にトイレ休憩があるんだろうが、小腹が空くと思い、パンやチョコレートなどを買った。

国境を越えて、アメリカへ入った。最初は物珍しさに景色を眺めていたが、後はひたすら爆睡していた。

とにかく長く感じた。シートの間隔はそんなに広くないので、身体中がバキバキになった。首も痛くなって早く着いてくれと願うしかなかった。

しかし本番のアメリカ大陸周遊の旅ではこんなんではなかった。10時間などお子ちゃまだった。
30時間以上バス乗りっぱなしの地獄のコースがあったのだ。

そんな地獄のバスの旅が控えていようとはこの時の身体痛い痛いの私には知る由もなかった。

朝日が昇ってきた時刻、ニューヨークの摩天楼が見えてきた。これが映画でしか見たことのないニューヨークか!感慨深いものがあった。

バスターミナルに着くと私とヒデオは疲れてはいたが、朝食を食べた後で、宿を探すことにした。

辺りを見渡すとまさにニューヨークだった。オモロイ旅になりそうだと感じた。しかしヒデオを見ていると一抹の不安が過った。どうなることやら。
つづく

マド〜ナ?なぜマド〜ナ?どこがマド〜ナ?私は私ですから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

 

レゲエ親父エソには本当に気にかけてもらった。

「ムーネ、彼女いないのか!俺がプリティーな黒人の彼女を紹介してやる」

 

「ムーネ、ジャマイカに行きたいなら俺に言えよ!ばあちゃんの連絡先を教えるから。訪ねて泊めてもらえ!」

 

ある日、こんな優しいレゲエ親父エソがレコーディングスタジオに誘ってくれた。

 

「明日、ダチのレコーディングスタジオに行くんだ。ムーネも行くか?」

 

私は二つ返事で行くと答えた。エソには前にDUBミキサーになりたいと言っていたので、誘ってくれたんだと思う。

 

当日、レコーディングスタジオに行ってみると、規模は小さかったが、それなりの機材がある、ちゃんとしたスタジオだった。

 

「ジャパニーズのダチ、ムーネだ!」

 

「よろしくな!見ていってくれよ!」

 

レゲエ親父エソの友達、ティムさんは私を快く受け入れてくれた。

 

スタジオには私達3人の他に主役であるシンガーがマイクの前でスタンバっていた。白人でブロンドヘアーの女性だった。黒の革ジャンを着ていて格好いいが、意識高い系の臭いがプンプンした。それはガラス越しからでもわかった。

 

エソとティムさんがレコーディングについて打ち合わせをしていた。

私はいつ始まるのだろうかと静かに見ていた。

 

「それじゃサンドラいこうか!」

 

軽快なリズムが流れてきた。ヒットチャートによく流れるPOPな曲だった。サンドラが歌いだした。

 

「#・・☆¥&"""☆…〜!¥$☆…〜!」

 

サンドラの歌唱力は可もなく不可もなくで、POPなダンスナンバーを無難に歌っていた。

はっきり言って私には退屈だった。彼女から魂を感じとることはできなかった。レゲエミュージシャンのレコーディングだと思っていたので拍子抜けしたところもあったのだと思う。

 

休憩に入り、3人が曲について激論を交わしていた。サンドラは何かに納得できないようだった。

 

「私はそうは思わない!」

 

エソとティムさんはサンドラにタジタジといった感じだった。何を納得できないのか?膠着状態が続いた。

私は関係ないですよといった態度をしていると、サンドラからいきなりきた!

 

「そこのJapanese guy!」

 

「私ですか?」

 

「そう、あなた!どう思う?」

 

「何が?」

 

「何がって!感じた事言って!」

 

感じた事って!退屈とは言えんだろ!何を言っていいのか分からなかったが、口から出た言葉がこれだった。

 

「貴女はマドンナのようだ」

 

キマッタ!と思った。白人ブロンド・シンガーには最高な褒め言葉だと思った。

 

「マド〜ナ?マド〜ナ!Why?」

 

何か悪いこと言ったかな?マズイぞ!

何か機嫌悪いぞと思った。

 

「マド〜ナ?どこがマド〜ナ?」

 

「歌い方がマド〜ナ!容姿がマド〜ナ!」

 

収拾がつかなくなってしまった。サンドラの攻撃に耐える気力は私には残されてなかった。苦笑いして攻撃に耐えていた。

 

「私は私!マド〜ナじゃないわ!」

 

エソが助け船を出してくれた。

 

「こいつは俺のダチなんだ。サンドラのことを褒めてるんだよ!わかってやってくれよ!」

 

サンドラの波状攻撃が止まった。私はスタジオを何とか脱出した。

エソとティムさんには悪いことをしたと思った。

 

帰ってからエソに謝った。

「気にするな!お前は悪くないよ」

そう言ってもらって本当に有り難いと思った。私がマドンナのようだなんて言わなければこんな事にはならなかったと、つくづく思う。

この後、エソの魂が詰まったアルバムをたっぷり聞かされたのは言うまでもない。

         つづく