アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

男気溢れるハードな奴達!貴方には一張羅があるか!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

私はジャパレス「日本の心」、「浮世絵」を立て続けに辞めることとなった。
生活費に余裕はないが、困ることはなかった。今後のお楽しみ旅行を考えるとバイトは必須だったので、私は早くもバイト探しに動いていた。

部屋でゆっくりしていると、小腹が空いたのでキッチンへ向かった。
キッチンに行くと、ケベックからの流れ者で元タクシー運転手のネイサンが料理を作っていた。

ネイサンが何を作っているか興味があったので、のぞいてみると目玉焼きを焼いていた。それは見事なまでの芸術的なサニーサイドアップだった。

からしてみれば、目玉焼きなんて焼けばいいだけだろ?と思ってしまうが、神経質なネイサンは時間をかけて、弱火でじっくりと焼いていた。それはもうシチューでもコトコト煮込んでるのか?といった火力だった。

ネイサンが話しかけてきた。
「ムーネ、飯を食べたら俺の部屋に来ないか?君に見せたいものがあるんだ」

何かは分からないが、面白い物でも見せてくれるらしい。せっかく誘ってくれたので行くことにした。

しばらくしてからネイサンの部屋に行ってみると、ベッドの上にコレクションらしきTシャツが几帳面に並べられていた。
よくバイク乗りの荒くれ者が着る黒いTシャツだ。
ドクロ、ローンウルフ、イーグルなど、これでもかと男気溢れるハードなTシャツが几帳面に並べられていた。

ネイサンが自慢気な顔で言った。
「いいだろ〜俺のコレクションだ!」
Tシャツに描かれたウルフやイーグルなどを自慢の息子のように私に見せた。

たかがTシャツと思うかもしれないが、ネイサンの気持ちが痛いほど理解できた。
何故ならば、私にも思い入れのあるTシャツがあったからだ。

中学時代に買ったTシャツを余りにも気に入りすぎて10年以上着ていた。
それはロックグループ、ヴァンヘイレンのアルバム「1984」に描かれた「タバコを吸う天使」のTシャツだった。

1984」と言えばロック史上に燦然と輝く名盤であるが、ジャケットもインパクトがあって、これまた良い。

中坊だった私は「タバコを吸う天使」のジャケを見て「かっこいいな〜」と目を輝かせていた。

古本と楽器の街、お茶の水にあるショップに天使のTシャツが置いてあると知り、なけなしの小遣いを持って買いに走った記憶がある。

「タバコを吸う天使」Tシャツを手に入れた中坊の私は、それを一張羅とした。

その後、「タバコを吸う天使」Tシャツは長い年月をかけて私に着倒され、ボロボロとなった。

そんなことからネイサンがベッドにTシャツを並べて、自慢気に語るのが理解できた。

「ネイサン、バイク乗っていたの?」

ケベックにいた頃は乗っていたよ」

ケベックでは何をやってた?」

「タクシーの運転手だ。あの仕事はもう懲り懲りだ!」

「今は何をやってるんだ?」

「無職だ。国から金貰って、職業訓練施設に通っている」

ネイサンは色々と語ってくれた。私は「アリガトウ」と言って部屋へ戻った。

その後このネイサンと一悶着あるとは、この時は知る由もありませんでした。
つづく

私はオモテナシ人にはなれましぇ〜ん!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

私はジャパレス「日本の心」をクビになり職を失いました。あれだけ暇であれば、人減らしにあってもしょうがないと思うしかなかった。
気持ちを切り替えてバイト探しを始めることにしました。

キッチンで食事を作っていると、レゲエ親父のエソが話し掛けてきました。
たわいもない話しで盛り上がりました。
「ところでムーネ。お前、仕事やってるのか?」

「最近までジャパレスのウェイターやっていたけどクビになったよ!」

エソが心配そうに言ってくれました。
「金は貸せん。しかし良いアイディアならある」
私は仕事でも紹介してくれるのかと思い、少し期待をしました。

「この婆ちゃん直伝のキャロットジュースを飲んでみろ!」

ジューサーで作った、いかにも健康そうなキャロットジュースを私に手渡した。
飲んでみたが、お世辞にも美味しいとは言えなかった。

「ムーネわかるか?このジュースは凄げえ健康的なんだ!それにうまい!これを家の前でキッズ達に売ってみろ!バカ売れするぞ!」

このレゲエ親父は何を言っているんだ?冗談だろ?苦笑いするしかなかった。

「お前がやらないなら俺がやる」

「とりあえず遠慮しとくよ」

「そうか・・・。いいアイディアだと思ったんだけどな・・・」
エソは部屋へと帰って行きました。

こんな子どもみたにな発想をするレゲエ親父に私は癒され元気を貰いました。

なんとかジャパレスのバイトの面接にこぎ着けた。今度のジャパレスは前回の店みたいにユルイ感じの店ではなかった。
本格的な日本料理の店で、店名は「浮世絵」(仮名)と言った。格式高い店だった。
私には高級すぎて不釣り合いだった。
面接を受けずに帰ろうかなと思った。
しかし、そうも言ってられないのだ。
面接にありつけるだけでも有り難いことだった。
背に腹はかえられない!面接に向かうことにした。

とにかくデカイ店だった。100人くらいは入ると思うくらいの大箱だった。
料理人も本格的な人達で、海外でよくある素人のエセ料理人ではなかった。

面接が始まった。面接官はホールの女主任だった。
初めて対峙した時から苦手意識を持ってしまった。笑いながら話していても目が笑っていなかったのだ。
なんとか面接を無事終える事ができた。
まぐれなのか、女主任に気に入られたのかは分からないが合格してしまった。
格式高い日本料理店「浮世絵」(仮名)で働くことになった。
その時、このバイトも長くはもたないだろうなど知る由もなかった。

働きだして数日が経った。働いてみて、
来る所を間違えたと初めて悟った。
とにかく接客のレベルが半端なく高く、私には厳しかった。
レゲエやロック好きのワーキングホリデーでやって来た小僧が耐えられるレベルではなかった。

女主任は特に厳しかった。私のつたない接客や諸作法に目を光らせていた。
それはもう女鬼軍曹と言っても過言ではなかった。
もしも世界オモテナシ選手権というものが存在するならば、女主任は間違いなく、3連覇するような超一流だった。

板場の人達にも馴染めなかった。俺達はお前とは違うんだよオーラが半端なくでていたからだ。

こんな閉鎖的空間に辟易としてしていた私だった。
しかしこんな中にも一輪の美しい花も咲くみたいで、中国人のリュウさんという綺麗な女性がいました。
日本に留学していたらしく、日本語は普通にしゃべれました。
私が女主任にこっぴどく叱られた時など、リュウさんは励ましてくれました。
綺麗なだけでなく、優しさも兼ね備えた女性で、お姉さん的存在でした。
何度危なく惚れそうになったことか!

ある日、事件は起きました。板前の長の何気ない冗談が・・・。
「お前のさあ〜そのガラガラ声何とかなんないか〜。焼き場で焼き切れば良い声になるんじゃないか〜」
何ですと❗高校時代ヘビメタ男子の細田君から「渋い声だね〜。うちのヴォーカルやらね〜」と誘われたヴォイスを?

カラオケに行くと女子から「ね〜、もんた&ブラザーズ歌ってよ〜」と頼まれたヴォイスを?
焼き切るですと❗
この声はガラガラ声とは言わずハスキーヴォイスと言うんですよ❗と心の中で叫んでいた。

こんな閉鎖的な所で我慢して働くためにトロントにワーキングホリデーで来たんじゃないよな?去るしかないよな?
結局この一件が引き金となり「浮世絵」を辞めることにした。実質、1ヶ月いなかったと思います。

またバイト探しにをすることになった。
こんなことならエソが言っていたキッズ達を相手にキャロットジュースを売るのも良いかなと思う自分がいた。
つづく

壁ドンされたことありますか?

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

前回、ジャパレス「日本の心」でのエピソードについて書かせてもらいました。
nobubladerunner.hatenablog.com
今回はジャパレス「日本の心」で起こった今でも忘れる事ができない最大のエピソードを書きたいと思います。

相変わらず店は暇でした。目抜通りに面しているというのに・・・。
そんな事はお構い無しにバイトのみんなは日々ゆる〜く仕事をこなしていました。
しかし女主人だけは売り上げが伸びずイライラしてました。

ある日、遅番のシフトに入っていた私は淡々と仕事をこなしていました。
お客さんは数人で、閉店まで1時間を切っていました。
気だるさが店を漂っていました。
「早く終わらんかな〜」

そんな空間に二人の男が突然入って来て空気を変えました。
「トイレ貸してくんね〜か〜」
声の主を見ると、そこに立っていたのは二人組の男でした。

ブロンドヘアーのマッチョ系伊達男と、もう1人も白人男性でした。もう1人の身なりは忘れてしまいました。
何故かと言うと、ブロンドヘアーのマッチョ系伊達男があまりにも強烈すぎて、どうしても思い出せないのです。

マッチョ系伊達男はタンクトップ姿でフェロモンを辺りに撒き散らしていました。
二人は、いかにも観光客という感じで現地のカナディアンには見えませんでした。
私は正直、面倒くさいのが入ってきたぞと困惑しました。

「トイレどこだい?」
私はマッチョ系伊達男にトイレの場所を指差しました。
マッチョ系伊達男は私に近づくと、微笑みながらウインクしてきました。
私は困惑しながらも、微笑みを返してしまいました。それが後々思わぬ方向へいくことなど知る由もありませんでした。

トイレに入ったマッチョ系伊達男が何分経っても出て来ませんでした。
もう1人の白人男性はと言うと客でもないのに客席に座り休んでいました。

「おかしいな〜、何かおかしいな〜、大きい方でもしてるんかな〜それにしても遅いな〜」と思っていると、トイレのドアをノックする音が聞こえました。
「ゴン、ゴン、ゴン」
「トイレットペーパーなら十分すぎるほどあるはずだぞ!」
ドアをノックする音は鳴り止みませんでした。

何かあったのだろうと思った私は調べるためにトイレに入りました。
薄明かりの中、マッチョ系伊達男が立っていました。

私は瞬時に察しました。
「これアカンやつキテるぞ❗」
マッチョ系伊達男が徐々に私の方に近づいてきました。
「ストップ!ストップ!」
私は制止しましたが、マッチョ系伊達男は止める気配はなく迫ってきました。
恐怖心はありませんでした。このシチュエーションに笑うしかありませんでした。

この曖昧な態度がマッチョ系伊達男を勘違いさせ、ハートに火をつけてしまったのです。
私は壁に追い詰められ、行き場をなくしました。
「ドン!」
少女マンガのイケメン張りの壁ドンが炸裂しました。
「止めろ〜止めてくれ〜」
「わかった!わかった!」
私はマッチョ系伊達男の壁ドンから開放されました。
マッチョ系伊達男は私からペンを借り、紙切れに何かを書いた。
「ここに泊まっているから遊びに来いよ」
マッチョ系伊達男は電話番号らしき数字が書かれた紙切れを私に手渡した。
「連絡してくれよ!」
マッチョ系伊達男達は意気揚々と店を去っていった。

嵐が過ぎ去り、店に平穏が戻った。
マッチョ系伊達男から手渡された紙切れは直ちにゴミ箱に直行したのは言うまでもない。

その後、客足が伸びず業績不振に陥った「日本の心」は人減らしすることになり、私はクビになった。
また1からバイト探しをすることになった。
つづく

これ腐ってます!変な匂いがします!いやいや!腐ってないですから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。お楽しみください。

ジャパニーズレストラン「日本の心」のホールのバイトをGETしたことは前回書きましたが、今回は「日本の心」で起きた数々のエピソードを書きたいと思います。

50歳過ぎた女主人が経営する「日本の心」は目抜通りに面した小さな店でした。
たいした売りもなく、日本の心とうたっているのに喫茶店のような内装で何の特色もない店でした。
時給は忘れましたが、クソ安かったです。
基本的にキッチン二人、ホール二人で回してました。
小うるさい女主人はほとんどキッチンに入っていたので、ホールの私はあまりプレッシャーを受けることはありませんでした。
キッチン組はよく「糞ババア〜が!」と言っていたので、相当ムカついていたのでしょう。
夜のシフトになると、女主人は疲れて帰ってしまうことが多々あったので店は無法地帯化してました。
日本語ベラベラな白人のカナディアンがホールにいたんですが、客が少ないからと言って客席に座り、小説を読んでいました。
「さすがにまずいだろ!」と言っても聞く耳持たず、平気な顔で読んでいました。

25年以上前は、日本食はと言うと、今のような世界的ブームではありませんでしたので、一般のカナディアンにはあまり馴染みがなかったと思います。(スシ〜テンプ〜ラ〜ぐらいです)
こんなエピソードがありました。

日本食は初めてであろうカナディアンの白人女性が店に入って来て、メニューを見せて欲しいと言ってきました。
彼女は太巻きををテイクアウトで注文しました。
女主人が丹精込めて作った太巻きを持って女性は喜ばしそうに帰って行きました。「良かった、良かった、これで日本食ファンがまた1人増えるかもな」と物思いにふけっていると女性が戻ってきました。
納得のいかない表情を浮かべ、信じられない言葉を発しました。
「これ変な匂いがします!腐っています!お金返してください!」
匂いを嗅いでみると、ただの海苔の匂いでした。日本人ならかぐわしい匂いです。
これ以上私では対処できず、女主人を呼びました。
太巻きが腐っているから、金返せって言われてるんですが・・・」
「何言ってるのよ❗しっかりしてよ❗私が説明するわ❗」
カナディアン女性と女主人の凄まじいバトルが勃発しました。
しかし女主人は海苔とはこのような物で、腐ってはいないと納得させる事ができず、お金を返しました。完全な敗北でした。
昨今、世界的な日本食ブームで海苔の認知度も高まり、ヘルシーな食べ物として人気を博していますが、当時は「何だこれは?食べ物ではない!黒い紙だろ!」など苦手な人も多かったみたいです。


打って変わって、海藻類のヒジキが非常に気に入って常連になってしまった御客さんもいました。目鼻立ちがくっきりしたメキシコ系の女性でボーイッシュな髪型、服装をした可愛い感じの人でした。
私はこの女性をヒジキちゃんと呼んでいました。
ヒジキちゃんは決まって、1人で来て隅の席に座りました。
私は何か気になっていました。
頼むものはいつも決まっていて、和食のセットでした。
ある日、ヒジキちゃんが私に声を掛けてきました。
「これ、とても美味しいです。何ですかこれ?」
付け合わせの小鉢で出るヒジキでした。
ヒジキちゃんが物欲しそうに空の小鉢を見ていたので、もう1つヒジキをサービスしました。
ヒジキちゃんは嬉しそうにヒジキをパクつきました。
ただただ脇役で目立たないヒジキをこれほどまでに美味しく頂いているヒジキちゃんを見ていて、私までも嬉しい気分になってしまいました。

この日を境に、ヒジキちゃんが来ると私は小鉢にてんこ盛りにヒジキを盛りました。
ヒジキちゃんも好意的に私に話し掛けてくれました。
「もしかして恋が始まるか〜」と淡い期待を抱きました。
そんな私の期待とは裏腹にヒジキちゃんはフェードアウトするかのように来なくなりました。今となってはいい思い出です。

次回は「日本の心」で起こった最大のエピソードを語ります。お楽しみに!
つづく

ジャパレス バイト GETだぜ❗

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

 

新しい部屋へ移った私は、ワーキングホリデー生活をエンジョイしていました。

クセの強いシェアハウス仲間は、私に対してとてもフレンドリーに接してくれました。

しかし困ったこともありました。

タクシードライバーのネイサンが度々、部屋のドアを開けっぱなしで長時間電話をしていたのです。

ケベック州の友人に電話でもしているのか?呪文のようなフランス語を1時間以上ぶっ続けで発してました。

私はフランス語なんてボンジュール、ジュテームぐらいしか分からないから、最初はさほど気にならなかったのですが、呪文のようなフランス語がボディーブローのようにジワジワ効いてきて、私は段々とイラッとしてきました。しかし文句を言える訳でもなく、黙ってやり過ごすしかなかった。

 

レゲエ親父のエソはと言うと、とにかく声がデカイ!まあレゲエミュージシャンが小声だったら商売になりませんけどね。

あと1つ難がありまして、家に帰ってきて、階段を上がってくる辺りから強烈な匂いを発しているのです。

その匂いはと言うと・・・、御想像におまかせします。

彼も気が付いているのでしょう。

すぐにシャワーを浴び、その後、部屋中にスプレーを噴射しまくっていました。

そのスプレー缶には勇猛果敢なインディアンの顔がありまして、私はそのスプレー缶を神聖なる神のスプレーと呼んでいました。

まあ、シェアハウスというのは他人同士が壁一枚隔てて住んでいるのだから、色々とあります。

 

住居の心配がなくなった。私は次にバイトの心配をした。

とりあえず数ヵ月はバイトせずにしのぐことも可能だったが、生活費はバイトで稼ぎたかった。

何故かと言うと、ワーキングホリデー終了後に、長距離バスのグレイハウンドでアメリカ大陸を回り倒すという壮大な計画が控えていたからです。

そういう理由でなるべくお金は使いたくなかったし、早くバイトを見つけたかった。

早速、私は日加タイムス (週刊の日本語新聞)の職業募集欄を見ました。

ほとんどの募集がジャパニーズレストランだった。

カナディアンの下で面白そうなバイトをしたいな〜と思いましたが、そんな事は言ってられんなと思い、あるジャパニーズレストランに電話をした。

日本の心(仮名)というジャパニーズレストランで、とりあえず面接に来てちょうだいということで、翌日に行くことになった。

 

店は目抜通りに面していて、素晴らしい立地にあった。賃料も相当高いに違いないと思った。

店は20人も入らない様な小さな店だった。あえて言うなら喫茶店に毛が生えた程度だろうか。

50歳代の女主人が切り盛りしていて、後は全てバイトで回っていた。 

見た感じ、素人のおばちゃんが店を経営してると直ぐにわかった。

面接が始まった。小うるさそうで小さな女主人はビシバシ質問してきた。

「あなた、英語はどうなの?大丈夫?

キッチンはいっぱいだから、やるとしたらホールね!」

私も英会話に馴れてきたので多少の自信はあった。カナディアンの小学一年生レベルはあったのではないか?

バイトの面接に受かりたかったので、

少し盛った。

「シェアハウスの仲間とも普通に話してますから問題ないです」

「ワーキングホリデーの子達は責任感がないのかしら〜?すぐに辞めてしまうのよ〜あなた大丈夫?」

「私も生活がかかってますから。頑張りますので、よろしくお願いします」

女主人は少し考え、私に言った。

「あなた真面目にやってくれそうだから合格よ!頑張ってね!」

なんとか職を得ることができ私は安堵した。

このジャパニーズレストラン「日本の心」で起こる数々の面白いエピソードを今後、紹介していきたいと思います。ご期待ください。

                                     つづく

 

 

新しい住人達はクセが強い人達ですから❗

ムーネです。海に行ってきました。

普段は海へ行っても泳ぎませんが、今回は波打ち際で泳ぐはめに・・・。

最初は乗り気じゃなかった私が、数分もすると童心に返りはしゃいでいました。海はいいですね〜。それにしても、ものの数分でオジサンを童心に返す海の力恐るべしです。

25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。それではお楽しみください。

 

引っ越し当日、大家のケン・イシダさんに言われた住所に向かった。引っ越しと言ってもスーツケースとバックパックだけなので楽だった。地下鉄にて新しい部屋へ向かった。

 (新しい部屋へ移る経緯は↓↓↓)

 

nobubladerunner.hatenablog.com

 

 

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新たに住むことになるシェアハウスに着いた。

建物は大通りを少し入った通り沿いに建っている。

人通りもけっこうあったので治安は悪くないと感じた。

少し歩くと、中規模のスパーマーケットもあったので生活の匂いを感じることができた。

シェアハウスの前でケン・イシダさんが待っていてくれた。

 「ムーネさん、入ってください。ちょうど住人の方々がいらっしゃいますので紹介しますよ」

木造の家で少し古い感じがしたが、悪くはなかった。

1階にキッチンと部屋が1つあった。

部屋にはワーキングホリデーで来た日本人の女性が住んでいた。たいした交流もなかったので、名前も顔も覚えていない。

2階に上がると部屋が3部屋あり、1つが私の部屋だった。

 とりあえず荷物を部屋へ置いた。

ケンさんが奥の部屋のドアを強くノックした。

 「ネイサン、ネイサンいるかい?」

長身(180㎝位)の白人男性 が出てきた。

容姿は根暗のセイン・カミュ(外人タレント)といった感じだった。

ケベック州から流れて来た元タクシードライバーで年齢は30歳半ばくらい。

今は国からでるお金で暮らしていて、職業訓練校か何かに通っているらしい。

ケベック州から来たので、英語とフランス語をしゃべることができた。

いかにも影がある男って感じで、独特の雰囲気をかもしだしでいた。

しかしフレンドリーじゃないというわけではなかった。

実際、彼の部屋へ呼ばれては何度か会話をした覚えはある。

 

次に私の部屋の隣に向かった。

ケンさんがドアを強くノックした。

 「エソ、エソいるかい?」

私は緊張した。まだ見ぬレゲエミュージシャン、我が親愛なる人、いったいどんな人なんだ。

ケンさんが言った通り毛むくじゃらなオジサンだった。

私の想像したドレッドヘアーの黒人レゲエミュージシャンではなかった。

天然パーマ伸び放題いといった頭髪でコントでよくある爆発している髪型であった。黒人というよりは、黒人、白人など色々な血が混じった混血といった感じだった。

背は高く180㎝位はあった。

ビール腹でかっぷくがよく、強面なプーさんといった感じだった。

(事実、東京○○ランドという夢の国にレゲエミュージシャン枠で行こうと思っている、どう思うかと相談を受けたことがありますから)

 ケンさんが紹介をしてくれた。

「ムーネさんだ。色々と教えてあげてくれ」

エソとしては、またワーキングホリデーで来た日本人の若造か!といった感じで、たいして珍しくもないのだろう。とりあえず数ヵ月間よろしくなと軽くあしらわれた感があった。

私は、なんとかフレンドリーに接しようと自分からアピールした。

「エソさん。私はとてもレゲエが好きです。あなたはレゲエミュージシャンですよね」

エソの顔が変わった。

「なんただって❗お前レゲエが好きなのか?」

「大好きだよ」

私は玄人しか知らないようなレゲエミュージシャンの名前をだした。

デニス・ブラウン

グレゴリー・アイザックス

シュガー・マイノット

シャバ・ランクス

ジミー・クリフ

エソの表情がみるみる変わっていくのがわかった。

「ム〜ネ❗ ム〜ネ❗最高だよ❗今日から俺達はダチだ❗」

仏頂面から一変こんな調子である。

さすがジャマイカ系カナディアン、笑うしかなかった。

この日から数ヵ月間、このクセが強そうなカナディアン達と1つ屋根の下で暮らすことになりました。どうなることやら・・・。

                 つづく                                                 

 

 

「謎の老人ケン・イシダは幸運の青い鳥だった 」の巻き。

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いてます。

それではお楽しみください。

 

大家さんのケン・イシダさんから他の物件へ移ることも可能と、助け船をだされた私は、二つ返事でそれを受け入れた。
(移ることになった経緯はこちらを御覧ください)       ↓↓↓

 

nobubladerunner.hatenablog.com

 

 それにしても偶然というか奇跡とでもいうか、ちょうど1部屋空がでるなんて・・・。

私はツキに見放されてはなかった。

「移るのは3日後、色々と準備がありますので・・・、それまではこの部屋で我慢してください」

私は恐縮しきりだった。

「ケンさん、本当にありがとうございます」

 

これ以上迷惑もかけられないし、失敗もしたくなかったので2~3質問をした。

「治安はどうなんですか?」

ダウンタウンの外れにあるので、悪くないですよ」

 

「住人の方は?」

「3人住んでいましてね、日本人の女性、白人の男性、あと何でしたっけね〜何かの音楽やってるジャマイカ人の男性がいますよ・・・」

「ケンさん❗今なんて言いました?

なんと申しました?ジャ、ジャ、ジャマイカ人?」

「確か〜レゲエとかなんとか言う音楽かな?音楽で飯を食べているんじゃないかな〜?」

私は心の中で歓喜した。

「お〜ジーザス❗」

そして自問自答した。

「お前、何の音楽好き?」

「何でも好きだけど特にレゲエ」

「何になりたいだっけ?」

「レゲエとかのDUBミキサー」

「これ奇跡だよな?奇跡の出逢いだよな?」

「うん」

 ケン・イシダ、日系カナディアン。

この不思議な雰囲気をかもしだす老人は「幸せの青い鳥」だった。

私は興奮せずにはいられなかった。

 こんな早い段階で幸運をつかめるとは思ってもみなかった。

私は、まだ見ぬレゲエミュージシャンを勝手に想像しまくった。

 「ケンさん、その人ドレッドかけてます?」

「ドレッド?何かわからんけど・・・

毛むくじゃらなオジサンだよ」

「オジサン?レゲエのオジサン?」

 「ムーネさんより二まわりくらい歳が離れているんじゃないかい?」

「オジサンですか・・・」

この際、レゲエ小僧だろうが、レゲエのオジサンだろうが、どうでも良かった。 レゲエという事実さえあれば良かった。

オジサンさんともお友達になれる❗

「ムーネさん、私は帰りますよ」

興奮冷めやらぬ私を尻目に、ケンさんは帰っていった。

 

翌日、サチエさんと近況報告ということで、会う約束をした。

セコンド カップというコーヒーチェーンで待ち合わせをした。日本で言えばドトールコーヒーみたいなものだ。

サチエさんは先に席に座っていた。

 相変わらずフリルのお洋服がイカしていた。

コーヒーを飲みながら、私達は語らった。

「ムーネ、部屋決まったんでしょ?どんな部屋なの〜?」

「それがさ〜、色々あってさ〜、移ることになったんだよね〜」

サチエ驚いた表情を浮かべた。

「幸いなことに、大家さんが他の物件に移るかい?って言ってくれてさ〜。近々、引っ越しだよ」

「良かったじゃない」

サチエさんは姉ちゃんのように心配してくれた。

「ムーネ聞いてくれる〜、マーヴィンがさぁ〜しつこいのよ❗」

(マーヴィンとは交流サロンで知り合った白人の禿げたカナディアンのオジサンである)

「あの禿げた鶏ガラみたいな人ね」

「サチエの英語をスキルをアップさせるためだって 、毎日デートに誘うのよ〜」

「じきに治まるんじゃないかな〜。交流サロンで可愛い日本人の子見つければ・・・すぐでしょ」

サチエさんが不機嫌そうな顔をした。

 

「それどういう意味〜?私が可愛くないってこと?」

「違います!違います!」

こんなやりとりを2~3時間続け、私達は家路に着いた。

                                       つづく