アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

便利な世の中になったね〜。オジサンの若い頃はスマホではなく家電話でしたから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

シェアハウスに住んでみて、1つ屋根の下で他人同士が住むことが如何に難しいか分かった。多少の事は我慢できたが、1つだけ、どうにもならない事があった。

それは音だった。築何十年の古い木造2階建ての家だったということもあるが、かなり悩まされた。

それでも御互い様だと思い、我慢するしかなかった。しかし、もう我慢の限界だった。爆発の1歩手前まできていた。

私はケベック州出身の元タクシー運転手のネイサンの長電話の声に悩まされていた。

ベットに横たわり、数時間以上長電話していた。何で分かるかと言うと、彼が部屋のドアを全開にしていたからだ。全てが筒抜けだった。ネイサンが何故ゆえにドアを開けっ放しにしてるのか理解できなかった。

当時、スマホや携帯電話などの便利な物は影も形もなかった。あったとしてもショルダーにかけるバカでかいギャグみたいな携帯電話しかなかったと思う。そんな時代だったので家電話がコミュニケーションツールの主役だった。

トロントでは市内通話なら何時間掛けても同料金だったと記憶している。失業中で職業訓練校に通っているネイサンには有り余る程の時間があった。

聞きたくもない他人の長電話がいかに不快か!想像して欲しい。唯一の救いは英語とフランス語での会話だったので何を言っているのか分からなかったことだ。

「静かにしろ!」

「ドアを閉めろ!」

「電話は30分以内に終わらせろ!」

などの文句を言いたかったが、言えなかった。シェアハウスでは新入りで、年下でもあった。言えるはずがなかった。

それにネイサンはケベック州から流れて来た元タクシー運転手である。いつもは物静かな雰囲気だが、もしかしたら豹変し、トラヴィス化する恐れもある。そのようなリスクは避けたかった。

ある日、ネイサンの電話でのやりとりが聞こえてきた。相変わらずドアは全開だった。音楽でも聴いて気を紛らわせようとしたが、そんな気分にはなれなかった。
ネイサンのフランス語での会話がかれこれ1時間以上続いていた。もうこれ以上聞くに堪えない、言うしかないと思った。

面と向かって言うことはさすがにできなかった。

「Please close the door!」

聞こえなかったのか、発音が悪かったのかシカトされた。

「Please speak slowly!」

まてよ俺!何か間違ってねえか?「ゆっくり話してください!」って違うだろ!
そうじゃなくて「声のボリュームを下げろ!」じゃないんかい!

自分に苦笑いするしかなかった。英語でケンカするなど10年早かった。吹っ切れた私は日本語でまくし立てた。

ネイサンがトラヴィス化しようが関係なかった。行動を起こさないと続くと思ったからだ。

後日、レゲエ親父のエソから言われた。

「ネイサンと揉めたらしいな。俺達は1つ屋根の下に住んでいるんだぜ!仲良くやろうや!ネイサンには俺からも言っておく」

しばらくしてネイサンが私の部屋に謝りに来た。

「ムーネ悪かったな。少し声のトーンを下げて喋るよ。もちろんドアは閉めるから!仲良くやろうぜ!」

私の悩み事は一件落着した。言いたいことを言わず我慢しないで良かった。あと数ヵ月しか住むことができないが楽しく過ごせるだろうと思った。
つづく