アンチェインな生活 海外生活回想録編

もっと自由で有意義な生活を切望する中年男が、若かりし日、アンチェインだったカナダ生活を回想するブログ

そこまでやる〜?これが和製暴走トラックだ!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみくさい。

久し振りにサトルと会った。寿司ビストロ「オーシャンブルー」をサトルが辞めて以来だった。元気そうだったが、以前より疲れてる感じもした。

「ムーネ久し振りだな〜」

「バイトは決まったのか?」

「バイトは決まった。新しい部屋にも移った。クレイグの禿に追い出されて大変だったよ!」

新居はシェアハウスではなくワンルームと言うことだった。クレイグさんに「君とは一緒には住めない!」と半強制的に追い出された形だった。

本当にクレイグさんも大変だったと思う。私だってサトルとの共同生活なんて勘弁してくれよだ!
相当な覚悟で奴に出ていってくれと言ったに違いない。何せサトルは身長185㎝、体重100㎏の暴走トラックの様な奴なのだから!キレたらなにをするか分からない。

率直な感想としてワンルームなんてどういう事だ?また無理してるな〜と思った。ワンルームの家賃をバイトだけでは支払えるわけないのだ。
まぁ〜親からの仕送りがあると言うし、私が心配することではなかった。

サトルとの思い出は数々あるが、ハロウィンの時に仮装して町に繰り出したことは今でも思い出す。
しかし一番の思い出のエピソードは奴が路上で白人の大男とストリートファイトをしたことだ。
今、思い出しただけでも吹いてしまうくらいサトルの暴走っぷりは凄かった。

あの日、私とサトルは賑やかなストリートを歩いていた。前から路上生活者らしき白人の大男が歩いてきた。ブツブツと独り言を言いながら何かに怒っているように見えた。見えない敵と戦っていたのか?それは分からない。気にはなったが危害が及ぶとは思っていなかった。

私とサトルが白人の大男の横を通り過ぎようとした時に事件は起きた。

「ガッデッム!☆##●$=!=##●$¥!」

サトルの顔が苦痛で歪んだ。白人の大男がサトルの肩にパンチをいれたのだ!
私は何が起きたのか分からなかった。
サトルも何でこうなったのか把握できずにいた。

白人の男は明らかに目がいっていた。私達を挑発するかのようにファイティングポーズをとったが、へっぴり腰だったので怖さは感じなかった。

「come on! come on!#=!$☆●#=!」

白人の大男が興奮冷めやらず挑発していた。もう相手にせず行こうとサトルに言ったが聞く耳を持っていなかった。

白人の大男が間髪いれずサトルにネコパンチを打ってきた。サトルもこれに応戦しネコパンチを返した。ここからはもうメチャクチャだった。

サトルの気迫にビビり逃げ惑う白人の大男。それを追うサトル。
車の通行などおかまいなしで車道でやりあう二人。フェイントをかけ、何とか逃げようと頑張る白人の大男。ラグビー仕込みのタックルを仕掛けようとするサトル。

それはもうマンガにでてくる大捕物劇だった。想像して欲しい。白人の大男を執拗に追いかける巨漢の日本人を!

笑ってはいけない場面だったが、面白すぎて笑いを堪えることはできなかった。後でサトルに怒られたのは言うまでもない。

結局、白人の大男の強靭なスタミナについていけずガス欠になり、サトルは追うこと止めた。とりあえずケガがなかったのが何よりだった。

こんな日本人離れした暴走っぷりをみせるサトルだったが、弱い面も併せ持っていた。とにかく寂しがり屋だった。

日本にいる彼女に国際電話を頻繁に掛けまくり金と時間を浪費していた。
その事が仇となり、サトルは金欠に陥った。

「○万円でいいから貸してくれないか?」

「前にもダメだと言ったよな!」

「お前しか頼む奴いないんだ!頼む!」

結局、私は根負けしてサトルに○万円を貸すことになった。ワーキングホリデーの若造には痛い金額だったが、サトルを信用して貸した。

その日以来、奴からの連絡は途絶えた。裏切られたと思ったが、とりあえず担保として親の連絡先を聞いていたので何とかなると思った。サトルのマンションにいってはインターフォンを押し続けた。

私の粘り勝ちで何とか○万円を返してもらった。サトルは言い訳じみたことを言ってきたが、どうでもよかった。
私とサトルは二度と会うことはなかった。

25年以上経った今、言えることはサトルと出逢って良かったな〜と言うことだ。
こんなにアホでオモロイ奴はそうは出逢えないと思う。
つづく

便利な世の中になったね〜。オジサンの若い頃はスマホではなく家電話でしたから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

シェアハウスに住んでみて、1つ屋根の下で他人同士が住むことが如何に難しいか分かった。多少の事は我慢できたが、1つだけ、どうにもならない事があった。

それは音だった。築何十年の古い木造2階建ての家だったということもあるが、かなり悩まされた。

それでも御互い様だと思い、我慢するしかなかった。しかし、もう我慢の限界だった。爆発の1歩手前まできていた。

私はケベック州出身の元タクシー運転手のネイサンの長電話の声に悩まされていた。

ベットに横たわり、数時間以上長電話していた。何で分かるかと言うと、彼が部屋のドアを全開にしていたからだ。全てが筒抜けだった。ネイサンが何故ゆえにドアを開けっ放しにしてるのか理解できなかった。

当時、スマホや携帯電話などの便利な物は影も形もなかった。あったとしてもショルダーにかけるバカでかいギャグみたいな携帯電話しかなかったと思う。そんな時代だったので家電話がコミュニケーションツールの主役だった。

トロントでは市内通話なら何時間掛けても同料金だったと記憶している。失業中で職業訓練校に通っているネイサンには有り余る程の時間があった。

聞きたくもない他人の長電話がいかに不快か!想像して欲しい。唯一の救いは英語とフランス語での会話だったので何を言っているのか分からなかったことだ。

「静かにしろ!」

「ドアを閉めろ!」

「電話は30分以内に終わらせろ!」

などの文句を言いたかったが、言えなかった。シェアハウスでは新入りで、年下でもあった。言えるはずがなかった。

それにネイサンはケベック州から流れて来た元タクシー運転手である。いつもは物静かな雰囲気だが、もしかしたら豹変し、トラヴィス化する恐れもある。そのようなリスクは避けたかった。

ある日、ネイサンの電話でのやりとりが聞こえてきた。相変わらずドアは全開だった。音楽でも聴いて気を紛らわせようとしたが、そんな気分にはなれなかった。
ネイサンのフランス語での会話がかれこれ1時間以上続いていた。もうこれ以上聞くに堪えない、言うしかないと思った。

面と向かって言うことはさすがにできなかった。

「Please close the door!」

聞こえなかったのか、発音が悪かったのかシカトされた。

「Please speak slowly!」

まてよ俺!何か間違ってねえか?「ゆっくり話してください!」って違うだろ!
そうじゃなくて「声のボリュームを下げろ!」じゃないんかい!

自分に苦笑いするしかなかった。英語でケンカするなど10年早かった。吹っ切れた私は日本語でまくし立てた。

ネイサンがトラヴィス化しようが関係なかった。行動を起こさないと続くと思ったからだ。

後日、レゲエ親父のエソから言われた。

「ネイサンと揉めたらしいな。俺達は1つ屋根の下に住んでいるんだぜ!仲良くやろうや!ネイサンには俺からも言っておく」

しばらくしてネイサンが私の部屋に謝りに来た。

「ムーネ悪かったな。少し声のトーンを下げて喋るよ。もちろんドアは閉めるから!仲良くやろうぜ!」

私の悩み事は一件落着した。言いたいことを言わず我慢しないで良かった。あと数ヵ月しか住むことができないが楽しく過ごせるだろうと思った。
つづく

遊園地で遊ぶ諸君!俺達のレゲエ魂を聞いてくれ!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。どうぞお楽しみください。

夏が終わった。トロントでのワーキングホリデー生活も半分が経った。
相変わらず寿司ビストロ「オーシャンブルー」でのバイトは続けていた。

シェアハウスのボロい部屋で休んでいると、レゲエ親父のエソが遊びに来た。
友人のレゲエミュージシャンも一緒だった。

「ムーネ!相談があるんだ」

「俺でよければ聞くよ」

「日本行きの話がでているんだ。どう思う?」

「マジに?いいね!」

「ぶっちゃけ日本のレゲエシーンはどうなんだ?盛り上がっているのか?」

「前にも言ったけど、夏は盛大なイベントで盛り上がるけど、まだマイナーだよね」

友人のレゲエミュージシャンがしゃしゃりでてきた。

「俺はやめとけって言ってるんだ!日本人にジャマイカンレゲエ魂が理解できるのかって!」

「お前は引っ込んでろ!口だすな!」

友人のレゲエミュージシャンがエソの迫力に圧倒され、黙った。

「どんなオファーを受けたの?」

「各地の遊園地やショッピングセンターを回るらしい!成功すれば日本でCDデビューも夢じゃないぞ!」

まるで売れない演歌歌手や若手芸人じゃないか!メジャーではないけれどCDもだしている。若手育成の為にプロデューサーもやっていると聞いた。エソがやる仕事じゃないだろ!この話にきな臭さを感じた。

黙っていられなかったのか、友人がすかさず口を挟んだ。

「連中はお前を騙そうとしているんだ!目を覚ませ!遊園地で俺達のレゲエ魂が受け入れられると思うか?ピエロに成り下がるのか!」

「すっこんでろ!」

エソの顔色が変わった。

「俺達が受け入れられるなら、ピエロにでも何にでもなってやるよ!少しぐらい冷や飯を食ってもいいと思っている。いつか俺達のレゲエ魂が日本で花開けば!日本人のレゲエ好き野郎ムーネに出会ったのも何かの縁だと思っている。ジャマイカと同じビッグアイランド日本にレゲエを広めてやる!」

「悪かった、エソ。お前を信じてやってやるぜ!その代わり着ぐるみだけはゴメンだぜ!」

「バカ野郎〜!俺だって着ぐるみなんて着て歌いたくね〜わ!」

くだらないジョークのおかげで場の空気が和んだ。私もエソの日本での活動には大賛成だった。演歌魂が根付く日本でレゲエを広めるのは簡単なことじゃないと思った。このレゲエ親父と日本でバカやれると思うとワクワクが止まらなかった。私もできるだけサポートしたいと思った。

エソの友人が私に話し掛けてきた。

「日本人、ムーネとか言ったな!お前も相当なレゲエ通らしいな!レゲエ魂を継承したいなら俺のCDを聞きなさい!」

エソの友人が自分のCDを売りつけてきた。

「エソの友人だから特別に10ドルでいいよ!」

現金な奴だな〜、さっきは日本人にジャマイカンレゲエ魂が理解できるのかって言ってたよな〜誰が買うか!と思った。
半ば強引に買わされた。

アルバムの題名は「俺達は止まらない」だった。ダサい題名だなと思ったが、1曲目はインパクトがあり、いい曲だった。
日本に帰っても何回か聴いたが、今はホコリがかぶった状態でどこか奥底にあると思う。

後日、エソから残念な報告があった。ミュージシャン仲間や本国ジャマイカの家族から反対をされ、この話は断念したらしい。
落ち込んでいると思ったが、いつか日本でレゲエ魂を炸裂してやると意気込んでいたので安堵した。
私にも微力ではあるが、エソが日本で活躍できる為の秘策はあった。いつかお話ししたいと思う。
つづく

両雄激突する!お前!いったい何を考えてるんだよ!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」でのバイト生活は本当に楽しかった。
海外生活で日本食が恋しいとか、よくある話だが、まかないで飽きるほど白米や味噌汁、焼き鳥や寿司など食べていたのでそのような悩みはなかった。
逆にバーガーやタコスなどのジャンクフード的な物を普段は好んで食べた。

人間的にもいい奴が多くストレスなど皆無だった。
寿司カウンター軍団の長、ジョニーさんには本当に良くして貰った。プライベートでも、友達にナイトクラブでミキサーをやっている奴がいるから連れってやると、一緒に飲みに行ったことがある。
お互いに夢なども語った。ジョニーさんも現状に満足しているわけではなく、日本に行って超一流の寿司屋でスキルアップしたいと、私に胸の内を語ってくれた。

私のトロントでの親友でもあり悪友でもあったサトルもジョニーさんに負けず劣らず良い奴だった。
キッチンではサトルと中国人軍団達がいつも楽しそうにやっていた。
キッチンには常に香港歌手の歌う、甘ったるい曲が流れていて、サトルと中国人軍団達が聞き惚れていた。

私も子供の頃、Mr.booの中国語の主題歌にドハマリしてシングルレコードを擦りきれるまで聴いたので、サトルの気持ちも1㎜くらいは理解できた。
(香港コメディー映画、Mr.booを観たときのない人は観てみよう!必ず日本語吹き替え版を観てくれよ!)

そんな私にとって大切な2人は犬猿の仲だった。お互いに無視するも、何かあるとイチャモンをつけていた。

「マサ坊!何とかしろよ!サトルのデカイ態度!デカイのは体だけにしろって!」

「マサ坊!ジョニー何とかしてくれよ!俺のこと目の敵にしやがってよ!奴みたいな細かい男は大嫌いなんだよ!」

それぞれが事あるごとに、私に文句を言っていた。それを聞いていた私は、いつも思っていた。
「あんたらの言い分は分かった!お互いに水と油みたいなもんだけど、何とか仲良くやってくれんかな〜」

そんな両雄が激突する日は、そう遠くはなかった。

急な事だったが、ホールを束ねる店長が、日本へ帰ることになった。実質的にNo.2だったジョニーさんが後任の店長が決まるまで、ホールも見ることになった。

ここぞとばかりに、香港お姫様キャラのキャンディーがしゃしゃり出てきた。

「店長がいないってことは、私が実質的なホールのNo.1よね!そうでしょ!ジョニーさん!そうよね?」

こんなやり取りがあったか分からないが、キャンディーがホールを仕切りだした。
ワーキングホリデー女子達の怒号が飛んだのは言うまでもない。

そんなこともあって、この頃のジョニーさんはイライラしていた。後任の店長が決まらず、本部の人間に怒っていたからだ。

ある日、みんなでまかないを食べていると、事件は勃発した。
ジョニーさん、サトルの両雄が些細な事でやりあったのだ。
口の聞き方がなってない、飯の食べ方が汚いとか、そんな類いだったと思う。

サトルが暴走トラック一歩手前まで、なりかけたが、私や中国人キッチン軍団の懸命な制止があり、それは免れた。

数日後、サトルにドーナツshopへ呼び出された。サトルは神妙な面持ちをしていた。

「マサ坊よ〜。オーシャンブルー辞めようと思っている。ジョニーにケンカ売っちまったしよ〜。辞めるには丁度いいタイミングだと思う」

「辞めて、金は大丈夫なのか?」

「親父からの援助もあるし、何とかなると思う」

サトルの意志は固かった。私も止める気はなかった。

「それに、もう1つ問題があってよ!」

「なんだよ?」

「クレイグの禿がよ!もう君とは住むことができない!出て行ってくれないか!だってよ!」

クレイグさんとミュージックビデオのバイトに行った時に「彼と一緒に住んでいると生きた心地がしないよ」と笑いながら言っていたのは本心だったのかと思った。

「そういうことで、1ヶ月以内に新しい住居も探さなければならなくなった」

「お前にお願いがあるんだ」

「少し金貸してくれないか?」

「何でだ?」

「彼女と国際電話で話しすぎた」

サトルの長時間国際電話話す男は治ってなかった。あれだけ気をつけろと言ったのに!呆れるしかなかった。

「悪いが、金は貸せんぞ!俺も余裕があるわけじゃないからな!」

「わかった」

数日後、サトルはオーシャンブルーを辞めた。中国人キッチン軍団からしつこいくらい引き留め工作を受けたが、ダメだった。

サトルのいなくなったオーシャンブルーは気が抜けた炭酸飲料みたいなものだった。
キッチンから笑いが消えた。
私も淡々と巻物を作り続けるだけだった。
つづく

キレてるよな?キレてないよ!いや!いや!完全にキレてますから!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」(仮名)のバイト仲間であるサトルの家に遊びに行くことになった。
まともなマンションに住んでいた。私の住んでいるボロの一軒家とは大違いだ。
カナディアンの男とシェアしているにしても、結構な家賃を払ってるだろうと思った。

サトルに促され部屋に入った。広いダイニングルームと2つのベッドルームがあった。

「良いところ住んでいるな」

「大したことねえよ!」

「家賃高いだろ?」

「まぁ〜な」

サトルは明らかに見栄を張っていた。ジャパレスのバイトだけでは、住めそうもない所だった
聞くところによると、都内の開業医の息子らしい、いわゆるボンボンってやつだ。
親からの仕送りと、バイト代を合わせて、何とかやっている感じだった。

「ところで、サトル。日本にいる時は何やってたんだ?」

「高校時代、ラグビーやっててよ!大学でもやろうかな〜なんて思ってたのよ!」

(どうりでバカデカイわけだ!)

「親父が医者だからよ!医大行けって言われたわけよ!俺の頭で受かるわけないからな、浪人だよ!数年間、浪人したけど結局は受からなかった」

奴なりに苦しく、大変だったと思う。

「やりたいことなんてねえからよ〜。ワーキングホリデーでトロントに来たわけさ」

「マサ坊!お前どうなんだよ!やりたいことかあるのか?」

「まぁ〜な。音響の専門学校卒業して、就職せずにトロントだよ。なれるかわからんが、DUBミキサーになりたいな〜なんて思っている」

「音響か!歌なら俺もスゲ〜好きだからな!ザ・ロネッツ知ってるか?最高だよ!彼女らは!」

サトルはなかなかの音楽好きだった。
特にオールディーズをこよなく愛していた。それだけでは収まらず、中国人キッチン軍団からの影響で、香港歌手が歌う哀愁歌に手をだす始末だった。

キッチンに行くと、ラジカセから香港哀愁歌がこれでもかと流れていて、キッチン中国人軍団とサトルが聞き惚れているのをよく目にしていた。

サトルが頼んでもいないのに、ザ・ロネッツの「be my baby」という曲を流した。
悦に入ったサトルは身長185㎝、体重100㎏の巨漢を揺らして踊っていた。
(YouTubeで検索して、巨漢が悦に入って踊っている姿を想像してください)

「マサ坊!今度よ!。どこかに旅行に行かねえか?これ見てくれよ」
小サイズのガイドブックを私に見せてきた。
地球の歩き方のがわかりやすいし、詳しく載ってるな」

何気なく言った私の一言がサトルの逆鱗に触れた。サトルの顔が見る見る赤くなっていった。

「おめぇ〜よ!俺の彼女がわざわざ送ってくれた物にケチつけるのか〜!ふざけるなよ!」

凄い迫力だった。巨漢の男が今にも暴れだしそうだった。
ここで弱気になったら、一気にヤられると思い、言い返した。

「おめぇ〜の彼女にケチつけてる訳じゃねえよ!ただ、地球の歩き方の方が詳しいな〜ってことだよ!冷静にいこうぜ!」

サトルの暴走トラックっぷりを寸前で止めてみせた。怯んでいたら、何発かヤられていたかもしれない。

サトルが冷静になった。後でわかったことだが、寂しがり屋のサトルは彼女に心底惚れており、国際電話長時間話す男だったのだ。そんな男が彼女からの本をディスられたら、こうなるなと、納得できた。

「そう言えば、禿のおっさん起きてこねえな〜」

同居人のカナディアンの男性は夜の仕事でまだ寝ているらしい。

「名前はクレイグって言うんだけど、音楽関係の仕事をやってるみたいだ。紹介するよ」

「クレイグ!クレイグ!起きろ!起きろよ!」

寝ているクレイグさんを無理やりたたき起こした。

「俺のダチのムーネだ。こいつ音楽関係の仕事をしたいらしい、紹介してやれよ!」

クレイグさんがけげんそうな顔をした。

「それだったら今夜来るかい?bossに電話で聞いてみるよ」

何か面白いことになってきた。トロントでレゲエ親父のエソに続き、また音楽関係の人に知り合うことができた。急な話で、何をするかは分からないが、行くことにした。

「bossが是非来てくって」

私とクレイグさんは夜のトロントの街を自転車で駆け抜けた。まだ会ったばかりのクレイグさんは容赦ないスピードで自転車を漕いだ。
「このおっさん容赦ねえな〜!こっちは土地勘もないし、夜だから恐いんだよ!」

クレイグさんは夜の倉庫街へ入って行った。
「はぐれたらシャレにならんな!」
私は禿の放つ光を頼りに後に付いて行った。

ある倉庫の前で、自転車が止まった。私達は倉庫の中に入って行った。
中ではミュージックビデオの撮影が行われていた。

「スゲ〜、いったいこれから何をやらせて貰えるんだろう 」

結局のところ、仕事は大道具を運び、ホコリがたまった床を掃くという仕事だった。
そして日当70ドルを貰い、朝日がまぶしいトロントの朝の中、帰って行った。
まあ、人生そんな甘くないですな。
つづく

カリフォルニア・ロール 最高っす!

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

その前に、先日、千葉県にある夢の国へ行って来ました。毎年、娘の誕生に行くことになっている家族恒例の行事です。
今回は娘の希望で海編へ行くことになりました。
海編は大人も楽しめるので、私も十分楽しみました。

それにしても夢の国は涙腺ゆるゆる親父にとっては危険きわまりないところですよ。

お子様向けミュージカル調のショーを見ていて、涙腺がゆるんできて危なく涙するところでした。

機関車に乗っていると、キッズやお姉さんが笑顔で手を振ってくれます。
普段は絶対にやらないであろう私が、ふざけてであっても!満面の笑みで手を振っていました。何なんでしょうね〜。

生活に疲れている方、泣きたい方、笑いたい方、行ってみると良いですよ。話が長くなりましたが本題に戻りたいと思います。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」(仮名)でのバイト生活は順調でした。下っ端小僧である私の仕事は飯炊き、酢を混ぜるなどでした。
しばらくして、包丁を握らせて貰うことになり、手巻きや巻物用の胡瓜などを切ることになった。

仕事を覚えれば覚えるほど、色々とやらせて貰えるので楽しかった。

ある日、ジョニーさんに呼ばれた。
「マサ坊(私のあだ名)!カリフォルニア・ロール作ってみるか?」

今では日本の回転寿司などで普通に置いてあるが、当時はまだ珍しかった。
私は心の中で思った。
「赤いプチプチが表面にコビリ付き、芋だか何だかんだ分からんアボカドってやつとカニカマ、胡瓜が入った邪道な巻物だろ!
そうそう、大して好きでもないマヨネーズがたっぷりとかかってたよな!」

ジョニーさんのやり方を見よう見まねで作ってみた。
「初めてにしちゃ〜上出来だ!食べてみろよ!」

邪道な巻物に困惑しつつ初めて食した。
「なんじゃ!これ!プチプチしてて面白い食感!マヨラーでも何でもない俺が初めてマヨネーズが旨いと感じたぞ!俺が間違っていたんだ!これは!これは邪道なんかじゃない!」

「どうだ?マサ坊、旨いか?」

「ジョニーさん、俺が間違ってました」

「何がだ?」

「こんなの巻物じゃないだろって」

「それで?」

「カリフォルニア・ロール最高っす!マジに旨いです」

「食わず嫌いってやつだな」

そう、私は食わず嫌いをしていただけなのだ!巻物とは海苔で巻かれたシンプルな物だという固定観念にとらわれていただけだった。
それ以来カリフォルニア・ロールがお気に入りになったのは言うまでもない。

日々の鍛練からか、だんだんと、まともなカリフォルニア・ロールが作れる様になった。包丁で巻物を切るのって結構難しくて、強引に切ると潰れるんですよ。

ジョニーさんに引いて切れと口酸っぱく言われ、まともに切れる様になりました。

見てくれ的にも悪くはなくなった私のカリフォルニア・ロールは次々とカナディアンの口に入っていった。

それを見ていて、少し複雑な気持ちになった。カナディアンのお客さんは素人同然の私が作ったカリフォルニア・ロールを職人の作った物と思い、食べているのだ。
こんなんでいいのか?大丈夫なのか?と思った。しかしカウンターに座っていたカナディアンのおば様の「美味しいわ!」のひと言に、何か救われた気持ちになった。

まかないを食べている時、キッチン軍団の下っ端小僧、サトルが話し掛けてきた。
歳が同じ出身地も同じで会話が弾んだ。

「今度、家に遊びに来いよ!1人ちっちゃいハゲのカナディアンがいるが気にしないでくれ!」
カナディアンの男のアパートにシェアさせて貰っているらしい。
私はサトルの家に遊びに行くことになった。
サトルはまだ、私の前では気さくな巨漢の男に過ぎなかった。(身長185㎝体重100㎏)
しかし遊びに行った奴の家で暴走トラックの片鱗を見せるとは!この時知る由もなかった。
つづく

私が寿司握っちゃってよろしいですか?

ムーネです。25年以上前のトロントでのワーキングホリデー生活を記憶をたどりながら書いています。それではお楽しみください。

立て続けに職を失い、焦っていた私だったが、腐らずに面接を受け続けた結果、新たなジャパレスのバイトをGETすることができた。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」(仮名)
50人くらい入る中規模な店で、寿司がメインのカジュアルな、カナディアンが好みそうな店だった。

その店で私はホールスタッフとしてではなく、なんと!寿司カウンターで包丁を握り、寿司を握ることになったのです!

さすがに素人同然の私が寿司を握るなんて、刺身包丁を扱うなんて!と思い面接時に店長に聞きました。
「家で飯を作る時に包丁くらいは握ってましたが、ど素人同然の包丁さばきで大丈夫ですか?」

店長は私の心配をよそに涼しい顔で言いました。
「大丈夫!大丈夫!すぐに慣れるから。君さ〜短髪で威勢が良さそうだからさ〜大丈夫だと思う」

内心では短髪で威勢が良いからって大丈夫な分けねえだろ!と思い心配でしたが、何か面白そうだな〜やってみたいな〜と思っている無謀な自分もいました。

そんなことから面接に受かった私は調理補助として、寿司カウンターで働くことになりました。

寿司ビストロ「オーシャンブルー」(仮名)は3つの派閥に分かれていた。
日系カナディアンのジョニーさん率いる寿司カウンター軍団、中国人達が牛耳るキッチン軍団、店長が率いる女子ホール軍団。各々の独自ルールがあり、それを基に動いていた。

寿司カウンター率いるジョニーさんは日系カナディアンで中肉中背の少し変わった人だった。
イタズラ好きの悪ガキの様な人で、いつでもイタズラを仕掛けてやろうと狙っている感じです。

私は面白がられ、イタズラの格好の餌食となっていた。
「お前、今日からマサ坊な!」
と訳が分からない名前を付けられる始末です。
少し、人に対して好き嫌いがあり、ワーキングホリデーのバイトは苦労してました。
私含め寿司カウンターの人間達は幸いなことにジョニーさんには良くしてもらい、和気あいあいやっていた。

キッチンはと言うと、中国人達に牛耳られていた。
日本に留学や出稼ぎで来日したことがあるリュウさんとチャンさん。
彼らは日本人に対して友好的でした。もう1人の中国人ヘイは何かと上から目線でものを言う奴で、あまり良い印象はなかった。

彼ら中国人の下にワーキングホリデーの日本人バイトがいた。
奴がトロントで親友でもあり、悪友でもあったサトルだ。同じ歳、同じ出身地ということもあり馬が合った。

サトルは身長185㎝、体重100㎏の縦にも横にもデカイ男だった。カナディアンの中に入っても見劣りしない巨漢だった。

中国人キッチン仲間からはサモと言われ人気があった。往年の香港アクションスターであるサモ・ハン・キンポーにどことなく似ていたからだ。

普段は音楽好きで陽気な奴だったが、一度キレてしまうと、ブレーキの効かない暴動トラックのようで手が付けられなかった。

止めるのにはこちらも本気にならないと危険でした。何回ぶっ飛ばされそうになったか分かりません。

店長が率いる女子ホール軍団は3人のワーキングホリデー女子と香港出身のキャンディーというお姫様キャラの女子がいた。

香港女子のキャンディーはアヒル顔のお姫様で、自分が一番可愛くて素敵なの!オーラが半端なくでていた。
中国人キッチン野郎達がチヤホヤするものだから、ワガママだった。
大変な仕事は日本人ワーキングホリデー女子にやらしていたようだ。

キャンディーにとって、寿司カウンターの下っ端である私など取るに足らないようで、あまり会話はありませんでした。

そんなこんなで、面白くて強烈なキャラが豊富にいました。これからのバイト生活どうなることやら!
つづく